留学生存報告

ユダヤ教会指導者DV彼氏チョコレート投げお爺さん(留学)

 

"ナゴーグ–––––––––ユダヤ教の教会"で、数十列の長椅子にところ狭しと並んだユダヤ教徒たちの視線の先に彼がいる。

 

ユダヤ人殺害の凄惨な歴史を綴った歴史書と詩の一編を、

 

静かに、

 

落ち着いた表情で、

 

しかし力強く、

 

ぶっつけ本番で読まされている男がいる。

 

 

 

 

 

私である。

 

なぜこんなことになったのか。なぜ私なのか。この二行目の単語はどうやって読むのか。

 

頭の中に疑問が浮かんでは、いやそれどころじゃないだろと理性が目から吸った文章をただ口から吐き出す。発音がわかんないやつは早口でそれっぽく言って茶を濁した。

 

もし私が芸人でこの様子が撮影されていたらお茶の間の皆さんは笑っていたかもしれない。いや正直第三者目線からみて私のあの焦りようは見ていて愉快だったと思う。

 

しかし、しかしだ。こちとらマジもんの教会で全く読めないヘブライ語の言葉があしらわれた台の前に立って凄惨な歴史(こっちは英語)を朗読しているのである、なんか最前列の女の人すすり泣いてるし「なんだこの状況ウケるwwww」とか言って途中で笑い出そうものなら世紀の大不謹慎野郎である。

 

そして私の右後ろ、やたら柔らかそうな椅子に足を組んで私を見ていたこのご老人が、全ての元凶、私の歴史のクラスの教授にしてこの教会の指導者、R氏だ。

 

R氏はやたら笑顔で課題を多めに出すし授業中難解な宗教についての意見を問うてきたりするがちゃんと課題やってきたり答えられたらめっちゃ笑顔で褒めてくる、なかなか別れられないDV彼氏みたいな教授である。

 

彼はいつもユダヤ教徒の間の民族衣装であるキッパーという帽子をかぶってニッコニコしながら教室に入ってくる。

f:id:sukerublog:20190422135138p:plain

こんなの

今学期のはじめはこの教授にかなり困らされたが今は授業にもなれ慣れ(もう今月で終わりだが)うまいこと成績も取れている、はずである

 

 

R氏との出会いは普通に歴史の最初の授業で起こった。めっちゃ笑顔で私の名を尋ねすぐに覚えてくれたので「ああ生徒思いの先生なんだな」といった印象だった。

 

テストが終わった順にチョコレートを投げてきたり生徒全員を床に寝かせて詩を読んだ授業前に準備運動をすると言い出してクラス内の生徒全員を広い廊下に連れ出して伸びをしたり急に踊り出して私を含め生徒も毎授業教授と踊っているが、まあこれは許容範囲内、他と多少の違いはあれど授業として機能していた。

 

そもそも

 

・自由の国の

・田舎にある

・小規模の大学

 

でスクスクと育った教授である、なにをしてくるかわかったものではない。

 

授業内容は割と普通で世界で起こった虐殺の歴史を、教授と教科書をよんだり、意見や調べた内容を発表したり、小テストを解いたりしながら勉強していくもので、特にこれといっておかしい点はない。

 

 

問題は2つあった。一つ目は、歴史書に使われている語彙が特殊なものが多く英単語の意味を調べるのにかなり時間がかかったこと、

 

二つ目は、ユダヤ教という宗教である。


ユダヤ教キリスト教より馴染みがなくそもそもキリスト教にも馴染みがない日本にお住いの若い方々にとってはもうなんじゃらほいってかんじであろう。

 

 

ざっっっくりいうと旧約聖書聖典とするユダヤ人の民族宗教(一神教)なのだが、今冷静に考えるとこの記事の冒頭で私がユダヤ教とは異なる神を崇める一神教の熱心な信者だったら教授はどうするつもりだったのだろうか。仏教をふんわりとかじった程度でいてよかったとしみじみ思う今日この頃である。

 

 

宗教に関していうと、ご存知かとは思うがアメリカはキリスト教徒が多く皆がすぐ"Oh My God"とかいってリアクションするのもこれによるものである。(ちなみに宗教的じゃないひとは"Oh My Goodness" とか"Oh My Gosh"とかをつかってて私もそうしている)

 

授業内で宗教に関する考えを問われることがあって、私を含めて多くの日本人は他国から見ると異様な宗教感を持っているとの話をよく聞くので、回答に難儀したりしていたのだが、私なりの考えをまとめるとこうである。

f:id:sukerublog:20190422140009j:plain

いわゆる典型的な日本人の若者は無宗教とか興味がないとかよく耳にするが、「いただきます」の文化であったり初詣に行ったりと明らかに宗教的な文化に浸っているので、私は「信仰している宗教は何か」と尋ねられたら「明確な名は知らないし完全に宗教として分類できる訳でもないと思うが日本のマナーや行事として存在している宗教的なことは生まれた時からしてる、クリスマスだって祝っちゃうんだぜ」と答えている。これが現時点で質問の答えにもっとも適している気がする。

 

教授もこの回答に随分と納得してくれたようで、私の作った別のポスターなども教会で発表するように言われ、「詩もみんなで読むよ」とか言われたのでまあそこは口パクでいいかと思ってホイホイと教会に向かったのだ。そのあとはこの記事の冒頭の通りである。教授が私の名前を呼び、教壇のようなものの前に立たされ、「じゃあこれ読んでね」と言って教授から渡された歴史書と詩の抜粋を読んだのだった。

 

 

私が詩の一節を読むと、目の前の人々が次の一節を読み始めた。どうやら私と彼らが交互に読むようだった。いや先にそう説明しろや俺に

 

 

 

長い長い朗読会の後、教授から「いやぁ〜よかったよきてくれてありがとう!またきてくれよな!!!」みたいなことを超笑顔で言われたが、また頼まれたらホイホイついていってしまう気がする。ただ次回は、一回でいいから練習させてくれ。