こんな夏だからぼくは君を召喚する
「想像できる全ての物事は現実である」
とピカソが言ったらしい。
本当にそう言ったのかも、この日本語訳で正しいのかも(原文は"Everything you can imagine is real")、もう今は彼の気が変わってるのかもわからないが、わたしは「それな」と思うし、この記事はそんな感じで進んでいきます。
私が小学生だったころ、実写版トランフォーマーにハマっていた。録画したものを幾度となく見たし、映画を見た後もトランフォーマーの事ばかり考えていた。
金曜ロードショーを録画して、リビングでカルピスを飲みながら目撃したその異世界は、とても異世界には思えなかったのだ。
身近にあるものが変形してかっこよく戦っちゃうかもよ?というコンセプトがオプティマスプライムの剣のごとく胸に突き刺さった私は、小学校の授業中も、帰り道も、習い事の水泳に向かうバスの中でも、変形しそうなものを見つけては頭の中で戦わせていた。
教室にあるテレビが変形して、画面にうかぶ表情で意思疎通したり、先生のつけている時計が変形して先生に襲いかかって授業が中断されたりする (時計の針を回転させて飛ぶ)。
脳内では常に戦争が起こり、そこらじゅうで日用品が形を変えて銃をぶっぱなしていた。
こんなことをしょっちゅうしていたわけだが、流石にこれを一日中やるほど暇ではない。他にもやることがあった。
ポケモンである。
ポケットモンスターダイヤモンドが手に入ったその瞬間から、その世界にのめり込んだ。
こんなすてきな生き物が周りにいて人と共存してるかもよ?というコンセプトがつのドリルのごとく胸に突き刺さった私は、新しいポケモンを考案したり、学校に6匹連れて行けるとしたらどのポケモンを選ぶかを考えて日々を過ごしていた。
ゲームは一日一時間という決まりをあれほど恨んだことはない。何度もこっそり隠れて一時間以上遊んでは親にこっぴどくしかられて1ヶ月間ゲーム禁止をいいわたされたりしたが、それでもあの世界から離れることはできなかった。小学生の脳がそこそこ発達して「どうやら約束は守った方が結果的にゲームをいっぱいできるらしい」と気づいてからは余暇(ゲームも余暇だが)をポケモン図鑑の学習とアニメ鑑賞に費やした。
版権とか世界観なんて言葉が脳内辞書に載っていなかったので、思い描いたキャリアパスは「トランスフォーマーを作れるポケモン博士」で確定し、特にそれに向かって勉強するわけでもなく、たまに絵を描いてみたりロボットのおもちゃを戦わせたりして日々を過ごしていた。
10年ほど経っただろうか。
人間の想像力は退屈なときほど遊び始めるようで、2020年の夏は自分の中の小学生が暴れるには最高の環境だった。
バイトをしてみたりしていたが、別に特段充実した夏というわけでもない。
いつも通りの時間まで働いて、ああ今日も頑張ったなと1日の反省をしつつ駅に向かった。
そのバイト帰りの駅のホームでふと、ポケモンが見えた気がした。
自分の中の小学二年生が「見える」というので、そうか、見えるんだなと返事して特に何もせず電車を待っていたのだが、「見えた」という感覚があまりにも鮮明で、またあまりにも楽しそうで、危うくTwitterを開いてツイートしてしまいそうになった。
誰も信じないだろう。成人済みの男性が突然「きょうね、えきでぽけもんにあったの!」といっても優しいFF内のみなさんはきっとそっとしておいてくれるだろう。
ただこれはなんとしても共有せねばならない。
夢の中でマックに行ったとしよう。あなたが月見バーガーとマックシェイクを楽しんでいる最中、となりの席で女子高生たちが人生の意味について語り合い、とても合点のいく答えにたどり着いていたとする。それを耳にした瞬間、あなたは目覚めた。夢だったか、しかしあの答えはなんとも素敵で誰かと共有したい。
だが夢の中でマックにいた女子高生が言ってたんだけどさなどとツイートをしたところで、そのツイートを見た人は「あーはいはい嘘ね」とスクロールをやめないだろう。共有したいのは夢で見た人生の意味なのに、話のあまりの嘘っぽさが共有を妨げている。
やだやだやだやだやだやだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ぽけもんみたんだもん!!!!!駅にいたんだもん!!!!!
今ならとなりのト○ロのメイちゃんの気持ちがわかる。
居たし。いや、実際にいたわけではないけど、嘘だと思われるかもしれないけど、居たっていう感覚は本物だし、素敵だし、誰かに伝えたいし、でもきっと私の「見た」って感覚は伝えるのがあまりにも難しい。
記事冒頭のピカソの言葉、「想像できる全ての物事は現実である」は、いくつかの解釈のしようがある。
私たちが現実と認識している物事もすべては脳で処理されているもので想像の一部ともいえるのか、
人間が想像できるものは全て実現可能なのか、
我々がすむ世界も実は仮想世界、想像に過ぎないのか、
今回の記事では1つ目を採用する。しらんけど。
見えたと思ったら見えたんだし、あとはこれをどう人に伝えるかが課題なのだ、という結論に至った。
作った
話は変わって、私は大学生になってから趣味でCGを勉強し始めた。きっかけはblenderを使っている人ならきっとわかるであろう、ドーナツをつくるチュートリアルをYoutubeで見かけたからだ。当時はblender 2.78とかだったのでいまとは結構勝手が違うのだが、当時楽しんで学習できて、作ったドーナツを投稿して友達に褒めてもらったりして、立派な趣味になっていた。(よく大学でCGを学んだのかと聞かれるのだがあくまで趣味であって、デザインの授業で使用許可が出たからちょっと使ってみた程度のものである)
この趣味で遊ぶこれ以上の機会はない、そう思ってこの映像制作を夏休みの一大プロジェクトとしてかかげ、ほぼ丸1ヶ月をかけて完成させた。
ごきげん pic.twitter.com/ipP5Dx9tXq
— すけるぷと (@Sukelpt) 2020年7月26日
みっけ pic.twitter.com/BSCf3HWfJV
— すけるぷと (@Sukelpt) 2020年7月25日
趣味でソフトウェアに触れていたとはいえ、作りたい映像を出力しようと思ったら新しく学ばねばならない技術が多く、その学習にかなり時間をかけた。今全く同じものを作ろうと思ったら半分くらいの時間でできると思う。
メッッッッッッっっっちゃ楽しい
脳内にある、ボヤッとした映像がだんだんと目の前の画面に出力されていくのをみると、なんとも表現し難い感覚になる。感じた感情をそのまま表現できる語彙を得たような、念じてみたら本当に目の前の箱が浮いてしまったような、できることが増えてしまったことに対する興奮みたいなものが滝のように降ってくる。トランスフォーマーやポケモンをみて興奮していた自分が、小さい一歩ながら見せる側に立てたという気持ちがどんな感情表現にも替え難かった。
おわり
以上、夏休みにCGで映像をつくってみたよという記事でした。この学期はとくにやることが多くてなかなか記事を書けていなかったのでやっと書けてうれしい。
実は映像を作っていく工程もこの記事に含めて書こうと思っていたんですが、長いし興味のない方には退屈かなと思ってそっちは別の記事に書くことにしました(書くのにどれだけかかるかはわからない)。CGとかビジュアルエフェクトに興味がある人はそっちも読んでみてね。